トキワ松学園小学校

トキワ松学園小学校

〒152-0003 東京都目黒区碑文谷4-17-16
TEL 03-3713-8161(代) FAX 03-3713-8400

スペシャル授業

創立記念日を迎えるにあたって~校長講話 学校の歴史~

11月 16日:スペシャル授業

 本学園はこの11月22日で、創立102年を迎える。また小学校は67年、大学(横浜美術大学)は短期大学時代を含めて52年目となる。
 毎年、創立記念日が近づくと、校長が朝礼の中で、学校の歴史を1年から6年までの全校児童に話していたが、今年からより子ども達の心に沁みとおるようにと、2学年ずつに分けて道徳の授業として私が話すことになった。また、6年間で余り重なりがないように、ある程度それぞれにテーマを絞って話す。
 低学年は、玄関にあるレリーフと胸像の二人の先生、すなわち創立者の三角錫子(みすみすずこ)先生と中興の母と呼ばれる室谷早先生、中学年は、初代小学校の校長の丸山丈作(まるやまじょうさく)先生と、第5代の小学校校長先生の實方亀寿(じつかたかめじゅ)先生、そして高学年は、校舎の変遷を中心に、校章や校歌の変遷というテーマである。
 以下、低学年より順に、話したことの骨子を載せたいと思います。

1.玄関の二つの顔
 〈学校の歴史 低学年用〉
*スケッチブックを使いクイズ形式にしながら話をしました。

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レリーフ  三角錫子先生 胸像 室谷早先生


(1)レリーフ  ≪創立者 三角錫子先生≫   
・学園の創立者  
・石川県金沢市生まれ 長女
  江戸時代算数の研究で、殿さまから三角の名前をもらった。算数の先生
・名古屋で小学校を過ごし、17歳で先生になる学校高等師範女子部(御茶の水女子大)で学ぶ。
・北海道で小学校の先生となり、その後東京、横浜で先生をやるが、病気にかかり、神奈川の逗子で療養し、鎌倉女学校の先生に。
・1916年、大正5年 渋谷の常磐松に学校を作る。女子音楽園の校舎を借りて、2年制の常磐松女学校を創る。(高等女学校令では4年)、180名
・卒業証書という風呂敷の中にしっかりとした「鋼鉄に一輪のすみれの花をそえて」卒業してほしい(建学の精神)
・三角先生「みんなが自由に楽しく学べるところ、子供が銘々もって生まれた天分を伸ばしてあげたい」(教育理念)理想の学校は、自由な雰囲気の中にも、しっかりと知識を与えることのできる学校で、もって生まれた個性を伸ばす学校と言うことで評判になった。

(2)胸像  ≪中興の母 室谷早先生≫
・生れは父の仕事の関係で台湾。父母は三角先生と同じ石川県の生れ。予定の日より早く生まれたので早という名に。
・台湾で高校まで過ごしたが、高校時代に絵を、先生について習い、台湾の展覧会で何回も入選。女子美術大学に入学、特待生となる。国展入選、卒業後常磐松高等女学校美術科教諭として就任。(1941年)
・昭和20年、5・25 太平洋戦争末期 渋谷の校舎が空襲により全焼
  生徒600名は隣の常磐松小学校と同居、その後世田谷の和光学園を借
りたり、渋谷の国学院大学を借りる。
・昭和21年 常磐松学園復興建設の中心にいたのが、宮城こと子・室谷早先生  
・室谷先生は、小中高の一貫教育を夢見て昭和26年の小学校設置に情熱を傾け、(絵を描くことを中断した)1年生37名、男子はそのうち7名。
・それから15年後の横浜美術大学の前身のトキワ松学園女子短期大学(2年制、昭和41年設立)の設立に理事長として必死の尽力をした。

 

2.初代小学校校長と第5代小学校校長
 (学校の歴史 中学年用)

*最初に低学年で話したことの復習をし、スケッチブックを使いクイズ形式にしながら話をしました。

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丸山丈作先生 實方亀寿先生


(1)初代小学校校長    ≪丸山丈作先生≫
・新潟県生まれ。生まれた時は両親が育たないと思い、名前を付けなかったほど病弱。健康に生きることをいつも真剣に考えて生活していた。
・府立第六高女(三田高校)の初代校長で、健康教育を重視。
・トキワ松でも、スキー学校、臨海学校、北アルプスや富士登山などを戦後いち早く実施。
・校名の磐という漢字の石を皿と間違える場合があったり、先生がカナ文字論者(筆記スピードや簡便さを重視)でもあったので、校名の表記を今のカタカナに変更。
・丸山先生の(教え)
「モロモロノ恵ミニムクイルタメ、常二善イ事ヲ行ウ」
~自分に対してしてくれているいろいろなことに対して恩返しをするため、いつもよいことを行う。「カラダヲツヨクスル」    
「カシコクナル」  
「ヨク、ハタラク」
「ムダヲシナイ」

(2)第5代小学校校長    ≪實方亀寿先生≫
・東京生まれ。丸山先生と同じ三田高校の校長を務める。
・丸山先生の教えを受け継ぎ、小学生にもっとわかりやすくと、今の学校目標の「健康、感謝、親切、努力」という4つの言葉にした。
「健康」―カラダヲツヨクスル
「感謝」―モロモロノ恵ミニムクイル
「親切」―常二善イ事ヲ行ウ
「努力」―カシコクナル
・丸山先生の「ヨク、ハタラク」と「ムダヲシナイ」も大事に。


3.校舎と校章と校歌
〈学校の歴史  高学年〉

*最初に低・中学年で話したことの復習をし、古い写真を見せながら、またスケッチブックを使いクイズ形式にしながら話をしました。
(1) 校舎     

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① 渋谷時代
・1916年、「女子音楽園」の一角を借りて創立。常磐松女学校。生徒数180名 2年制 4年はいかれないが、学びたいという人のために作った。
・1923年 常磐松高等女学校 4年制 1931年5年制
~渋谷の校舎が狭く運動場として碑文谷に獲得した土地はそれまで、体育の授業として使われていた。昭和18年にはサツマイモ畑に。
・1945年5月25日の深夜の空襲で木造校舎が焼ける。
・1945年、常磐松国民学校の空き教室を借りる。
② 世田谷時代
・1946年 世田谷区和光学園に身を寄せる  
③ 渋谷時代
・1947年国学院大学の3教室を借りる。
④ 碑文谷時代  
・1948年  目黒の第Ⅰ期木造平屋校舎完成 移転
・1952年  モダンな2階建ての小学校校舎完成
・1955年   鉄筋校舎完成
・2000年   現在の校舎完成

(2) 校章    
・今の校章は5代目。
・草創期のものは松の絵、大正期のものは袴の紐につけ、大正末から昭和初期にそれを胸につけられるよう小さくなり、昭和10年頃のものは今の校章と似ている。
・昭和10年代後半から現在のものになる。円に人は円満な(バランス  のとれた)人格を表し、知育、徳育、体育のバランスのとれた人格でもあり、保護者、児童、先生の三位一体をも表す。
(3) 校歌   
・今の校歌は3代目。
・大正、昭和初期の最初のものや、二代目のものにもどれも「常磐の松」という言葉が入っている。これは、学園の原点の地が常磐松町であり、   その言葉自体が、ずっと変わらなく青々としているめでたい松の意味を持つ。
・現在の校歌は昭和26年、小学校が新しくでき、これからさらに新しいトキワ松が誕生したという意味の内容の校歌になってい入る。
・現在の校歌は七五調だから歌いやすい。
1番  かおりゆかしき(伝統の学校)・・・新たなる日は昇る
2番  たかき思い 清き願い   ・・・まことの道(真実、真理)  
3番  身はすくよか、晴れやか、心深くはぐくむ・・・日々に進まん

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