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創立記念日にあたって~学校の歴史の話~
創立記念日にあたって
~学校の歴史の話~
校長 栗林 明弘
11月22日は、トキワ松学園の創立記念日です。学園としては誕生から104年目、小学校は69年目になります。始まりは大正5年、渋谷の常磐松1番地の校舎を借りての開校でありました。地名から付けられた学園の名前ですが、のちにカタカナ表記も交じるトキワ松学園となります。昭和26年のことでした。この年に、小学校が誕生しています。
毎年11月22日を迎える前に、私が学校の歴史について子供達に話をしますが、今年は学年ごとに教室で話をしました。1.2年生は主に「玄関の顔」と称しまして、玄関にレリーフとしてあります創立者の三角錫子先生と胸像としてあります中興の母と呼ばれています室谷早先生について、3,4年生は小学校初代校長の丸山丈作先生と現在の小学校の教育目標を考えてくださった實方亀壽先生について、5,6年生は校舎、校章、校歌の歴史について話をしました。
トキワ松学園の歴史は戦争前の渋谷時代と戦後の現在の地、碑文谷時代とに分かれます。それぞれの苦難がありましたが、先人の先生方は教育に対する信念と情熱をもってそれらをも乗り越え、学園の歴史を作ってきました。子供達に話すたびに、気が引き締まる思いです。以下、2学年ごとの話の骨子を載せました。よろしければ、お読み下さい。
<1,2年生>
(1)三角錫子先生
・学園の創立者 渋谷の常磐松に学校を創る。
・石川県金沢市生まれ江戸時代算数の研究で、殿さまから三角の名前をもらった。
・建学の精神「鋼鉄に一輪のすみれの花をそえて」
・三角先生「みんなが自由に楽しく学べるところ、子供が銘々もって生まれた天分を伸ばしてあげたい」(教育理念)
(2)中興の母 室谷早先生
・生れは父の仕事の関係で台湾。予定の日より早く生まれたので早という名に。
・常磐松高等女学校美術科教諭として就任。
・昭和20年 渋谷の校舎が空襲により全焼。生徒600名は隣の常磐松小学校と同居、世田谷の和光学園を借りる、渋谷の国学院大学へ。
・昭和21年 現在の土地を購入するために尽力す。昭和26年の小学校設置にも情熱を傾ける。
・また15年後の横浜美術大学の前身のトキワ松学園女子短期大学(2年制、昭和41年設立)の設立に理事長として尽力。
<3,4年生>
(1)初代校長 丸山丈作先生 (中高校長1947年就任も兼ねる 6代)
・健康教育を重視。トキワ松でも、スキー学校、臨海学校、を戦後いち早く実施。
・校名の変更 石を皿と間違える カナ文字論者(筆記スピードや簡便さを重視)
・(丸山丈作先生の教え)
モロモロノ恵ミニムクイルタメ、常二善イ事ヲ行ウ
カラダヲツヨクスル
カシコクナル
ヨク、ハタラク
ムダヲシナイ
(2)實方亀寿先生
・丸山先生の教えを受け継ぎ、小学生にもっとわかりやすくと、今の学校目標の「健康、感謝、親切、努力」という4つの言葉にした。
健康―カラダヲツヨクスル
感謝―モロモロノ恵ミニムクイル
親切―常二善イ事ヲ行ウ
努力―カシコクナル
<5,6年生>
- 校舎
・1916年、「女子音楽園」の一角を借りて創立。常磐松女学校。
・1923年 常磐松高等女学校 4年制 1931年5年制
・1945年 深夜の空襲で木造校舎が焼ける。常磐松国民学校の空き教室を借りる。
・1946年 世田谷区和光学園に身を寄せる
・1947年 国学院大学の3教室を借用 碑文谷時代
・1948年 目黒の第Ⅰ期木造平屋校舎完成
・1952年 モダンな2階建ての小学校校舎完成
・1955年 鉄筋校舎完成
・2000年 現在の校舎完成
- 校章 5代目
・草創期→ 大正期→ 大正末から昭和初期→ 昭和10年頃→現在
松の絵 袴の紐につけた 胸につけた 今と似ている
・ 円に人 円満な(バランスのとれた)人格
知育、徳育、体育 保護者、児童、先生
- 校歌 3代目
・大正、昭和初期 →昭和前期 →碑文谷昭和26年
※どれも常磐の松(変わらなく青々としている)がある
・現在の校歌
~七五調、一つ一つの言葉が格調高く、シンプル。新しい歴史を作るために進もうという思いが込められる。一部の言葉を抜粋。
1番 かおりゆかしき 新たなる日は昇る
2番 たかき思い 清き願い まことの道
3番 身はすくよか、晴れやか 心深くはぐくむ 日々に進まん
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